JOURNAL ジャーナル

Think elegant!

美の起源:アウトプット編

皆さま、こんにちは。
rm55です。

本日のテーマは「美の起源」のアウトプット編です。

前回は、インプットにこそ「美の起源」があるのではないか!?と言う主張をお届けしたのですが、今回は、いや、美とはアウトプットされる時に宿るものだ!と言う内容でお届けしたいと思います。

さて、本Blogの読者さまであれば、私がSharonさんにて取扱っている手縫いのアイテムに魅了され、スタイルとしても取り入れるべく、努力!?をしている様は既にお分かり頂いているかと思います。

そんな手縫いのアイテムの一番の魅力と言えば、やっぱり人の手によって縫われたことによる、独特の柔らかい風合いを挙げることが出来ます。

以前、大変興味深いお話を聞いた(のか読んだのかは失念しましたが・・・)ので、正確性は置いておいて、少しご紹介をしたいと思います。

ある服飾の学校にて「手縫いの課題」が出たそうです。

その課題には、大変技術力の高い日本人の生徒も取り組んでいたそうなのですが、講師の方がトップの出来栄えとして評価をしたのは、その日本人ではなく、外国の生徒が仕上げた作品だったそうです。

確かにその日本人の生徒が仕上げたものは、丁寧かつ、精緻な仕上げでとても美しく、次点としての評価だったようなのですが、唯一足りないものが“雰囲気”だったと言います。

丁寧かつ精緻に縫い上げること、美しく縫い上げることはとても重要な要素ですが、それはある意味ではマシン(ミシン)でも出来なくはないですよね。しかし、手縫いでしか表現出来ないことがあり、それこそ手縫いの本当の魅力なのだと、そのように解釈した記憶がございます。

また、以前Sharonさんの専属職人である直井茂明氏とお話していた際、直井氏が修業時代に、「とにかく早く縫いなさい」と言われていたと伺いました。

“意識”をして、一針一針丁寧に縫うのではなく、“無意識”下においても縫い上げられるようなスピード感で縫い上げるのだと。

人間は完全な存在ではないから、時に過ちを犯す場合がある。しかし、自然は法則の世界であるがために過りに落ちることがない。そして、そう言った法則の下に生み出された美と言うのは人間の生み出したものを超えることがある、と言うような趣旨の話をしたのは、宗教哲学者であり、民藝運動の創始者である柳宗悦です。

人間がその意識を離れて無意識化に至った時、それはある意味では自然の法則と一体となっている状況であり、その状況でアウトプットされるものには、意識下においては成しえないような、独特の風合いと美を宿すことになるのかもしれません。

美の起源はアウトプットにあり!?

なかなか興味深いお話です。エレガントさを追求したい私としましては、更に色々と突っ込んでみたいテーマの1つですね。

さて、皆さんはどのようにお考えになられますか!?

美の起源:インプット編

皆さま、こんにちは。
rm55です。

だいぶ久しぶりの更新となってしまいました。
さすがに間があきすぎましたね。大変申し訳ございません。。

さて、気を取り直してまいりたいのですが、本日のテーマは「美の起源」です。

なかなか難しそうなテーマですが、私rm55が書く記事ですのでそんなに難しいものではなく、また深い内容でもございませんので、サクッと読んで頂ければと思います。

皆さんは人類最古のアートをご存知でしょうか!?
アートの定義は何?、と言われると困ってしまうのですが、ここでは“人類による美の表現”とでもしておきたいと思います。

そんな“人類による美の表現”であるアートですが、現存する人類最古のアートとしましては、約3万2000年前にネアンデルタール人によってフランス南部にあるショーヴェ洞窟に描かれた絵画だと言われております。

野生の牛や馬、サイ、ライオンなどの動物画が260点ほど、その総数は300点を超えると言われているようです。

どんな絵が描かれているのかを知りたい方は、是非ともgoogle先生に聞いて頂きたいのですが、人類がはじめて美を表現する上で選んだ対象が、身近に存在したであろう動物であった、と言うことは考えれば当然のように思われます。

身の回りにいた動物がヴィジュアルとしてインプットされ、そこで何かしらの解釈が行われて、ショーヴェ洞窟の壁画としてアウトプットされた。

つまり、美の表現たるアートと言うのは、「人の内部から自然発生的に生まれて来たもの」と言うよりは、「自然界からのインプットが起源になっている」とも言えなくもないわけです。

人はイメージしたものしか表現できない、と言いますね。

そういう意味では、イタリア人の仕立てる服と日本人の仕立てる服の雰囲気の違いには、これまで何を見て来たか、どんな環境で過ごしてきたのか!?と言うことも多少なりとも影響しているのかもしれません。

それは、仕立て服を「人類による美の表現」の一つとするのであれば、何を見て来たのか、何を感じて来たのかと言う、それまでの職人さんの人生における様々なインプットが、仕立て上げられる服にアウトプットとして表現されていると考えることもまた、当然のように思われるからです。

逆に言えば、仕立て上がる雰囲気の違いに国籍は関係なく、見てきたもの、過ごして来た環境と言ったインプットこそ、アウトプットされる、すなわち仕立て上がる服の雰囲気の違いに影響を与えるのではないかと。

美の起源はインプットにあり!?

ちょっと面白いテーマですので、また同じテーマで書いてみたいと思います。

手縫い文化の伝道師

皆さま、こんにちは。
rm55です。

本日のテーマは「手縫い文化の伝道師」です。

さて、私の個人のBlogにおきましても取り上げさせて頂きました、現在話題沸騰中の!?“Sartoria Sharon(サルトリア・シャロン)”。その詳細につきましては、私が関係者の方に直撃インタビューをさせて頂いた下記の記事をご覧頂ければと思います。
 

手縫い文化の伝道師!?:Sartoria Sharon(サルトリア・シャロン):前編
手縫い文化の伝道師!?:Sartoria Sharon(サルトリア・シャロン):後編

 
手縫いのスーツ、すなわちス・ミズーラ(ビスポーク)と言うのは、ある意味服好きにとりましては1つの“憧れ”的な存在でもあると思います。
 
私もその例にもれず、クラシックな服が好きになり始めた当初は、英国はサヴィル・ロウに関する書籍を読みあさったり、いつかはサヴィル・ロウでビスポークをしたい、そんな夢を抱いておりました。
 
しかし、紳士服発祥の地であるとされる英国発の産業革命によって、手縫いの文化は徐々にその姿を消し、マシンで大量生産をされた服にとって代わられてしまったことは、皆様ご存じの通りです。
 
そして今は、ス・ミズーラ(ビスポーク)と言えば、一部の服好きだけが楽しむと言う嗜好品として残るのみ・・・。
 
くしくも昨今のメンズクロージングの世界におきましては、クラシックと言う言葉がキーワードです。ただ、個人的に思っている事は、この世界(職人が手掛けた手縫いのスーツ)は「トレンド(ファッション)」ではなく、一つの「スタイル」として存在していると言うことです。
 
Sartoria Sharonは、そんな嗜好品としての手縫いのスーツを、もう1度、リアルクローズとしての世界に押し上げることが出来る可能性を秘めている、と個人的には思っています。
 
手縫いであれば良いわけではありません。スーツの構造をしっかりと理解している職人がパターンを引き、手縫いの良さを感じることができる良質な芯材を、適切な方法で、適切な箇所に用いて、高い技術を持った職人がそれを縫い上げる。
 
職人が手掛けたものだから、残るわけではありません。
 
希少性が高いから、残るわけでもありません。
 
それが、本当に良いものだから、残るのです。
 
「手縫い文化の伝道師」
 
手縫いのアイテムに魅了された私が、Sartoria Sharonに期待することです。手縫いのスーツに初めて袖を通される方は、その軽さ、心地良さ、柔らかさに驚くことと思います。最高のスーツは、決して堅苦しいものではないからです。
 
手縫いのスーツを未経験の方は是非。
既にご経験のある方も是非。
 
Sartoria Sharonはきっと、新たな手縫い文化(スタイル)の世界へと、皆様を誘ってくれるのではないでしょうか。

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