JOURNAL ジャーナル

Think elegant!

人に学ぶ

こんにちは!
rm55です。

少しご挨拶が遅くなってしまいましたが、明けましておめでとうございます!

本年も緩やかではございますが、本JOURNALのタイトルでもある「エレガントについて考える!」と言うことで、皆さまとともにエレガントの本質!?に迫ってまいりたいと思います。

さて、2017年最初のテーマは「人に学ぶ」。

シャロンさんでは、既に告知が出ております通り、来月頭の2月3日(金)・4日(土)・5日(日)の3日間、ナポリのサルトリアSARTORIA SOLITO<サルトリア・ソリート>のオーダー会を開催する予定です。

早くもシャロンさんに来るのは「はじめて!」と言う方をも含め、続々と日程の予約が舞い込んでいるとのことですので、今回のオーダーも前回同様にかなり盛り上がりそうです。

ところで、ソリートのオーダー会と言えば、私もその第1回オーダー会に参加させて頂き、ダブルブレステッドのスーツを1着ながら、仕立てて頂いております。今回のオーダー会では、その仮縫いがございますのでとても楽しみにしているわけですが、前回のオーダー会の際にルイジ・ソリート氏とお話させて頂いたことが今でも頭に残っています。

私の個人ブログの記事でも少し触れておりましたが、エレガントな装いにおいて最も重要なのは、素材や仕立て、着こなしと言った表層的なものではなく、それを着る「人」そのもの。つまり、人間性(内面)がとても大切だ、と言うことをルイージ氏が仰っていたわけです。

では、そのため(自分の人間性を成長させる)にはどうするのか!?と言うことなのですが、これまた「なるほどな」と言うことで、「自分がエレガントだと思う人と接することで学ぶ」と言った趣旨のお話でした。

そうです、正に“人に学ぶ”と言うことなのです。

「類は友を呼ぶ」と言うことわざがありますよね。気の合う人や似通った者同士は、自然と集まってきて仲間を作るものであると言う意味ですが、今は似通っていなくとも、憧れや、こういう人になりたい!と思う方と接し続けることで、自然と近しい思考や思想を持つようになり、その結果、振る舞いや装いと言った外見的な雰囲気も似てくるのではないかと思っています。

私は仕事上でお付き合いをする方や親しい友人の中には、残念ながら同じような服(スタイル)を好きな方がいないのですが、BlogやInstagramを始め、またSharonさんに通い続けている中で、共通の趣味、感性を持ちつつ、素敵な大人だなぁと魅力的に感じる方々と幸運にも出会う事が出来ました。

今年はそう言った方々との交流を通して、自分の人間性、内面に少しでも磨きをかけて、エレガントな大人に1歩でも近づければ!と考えております。

それでは最後になりましたが、皆さま、本年もどうぞ宜しくお願い致します。

2017年1月吉日
rm55

美の起源:アウトプット編

皆さま、こんにちは。
rm55です。

本日のテーマは「美の起源」のアウトプット編です。

前回は、インプットにこそ「美の起源」があるのではないか!?と言う主張をお届けしたのですが、今回は、いや、美とはアウトプットされる時に宿るものだ!と言う内容でお届けしたいと思います。

さて、本Blogの読者さまであれば、私がSharonさんにて取扱っている手縫いのアイテムに魅了され、スタイルとしても取り入れるべく、努力!?をしている様は既にお分かり頂いているかと思います。

そんな手縫いのアイテムの一番の魅力と言えば、やっぱり人の手によって縫われたことによる、独特の柔らかい風合いを挙げることが出来ます。

以前、大変興味深いお話を聞いた(のか読んだのかは失念しましたが・・・)ので、正確性は置いておいて、少しご紹介をしたいと思います。

ある服飾の学校にて「手縫いの課題」が出たそうです。

その課題には、大変技術力の高い日本人の生徒も取り組んでいたそうなのですが、講師の方がトップの出来栄えとして評価をしたのは、その日本人ではなく、外国の生徒が仕上げた作品だったそうです。

確かにその日本人の生徒が仕上げたものは、丁寧かつ、精緻な仕上げでとても美しく、次点としての評価だったようなのですが、唯一足りないものが“雰囲気”だったと言います。

丁寧かつ精緻に縫い上げること、美しく縫い上げることはとても重要な要素ですが、それはある意味ではマシン(ミシン)でも出来なくはないですよね。しかし、手縫いでしか表現出来ないことがあり、それこそ手縫いの本当の魅力なのだと、そのように解釈した記憶がございます。

また、以前Sharonさんの専属職人である直井茂明氏とお話していた際、直井氏が修業時代に、「とにかく早く縫いなさい」と言われていたと伺いました。

“意識”をして、一針一針丁寧に縫うのではなく、“無意識”下においても縫い上げられるようなスピード感で縫い上げるのだと。

人間は完全な存在ではないから、時に過ちを犯す場合がある。しかし、自然は法則の世界であるがために過りに落ちることがない。そして、そう言った法則の下に生み出された美と言うのは人間の生み出したものを超えることがある、と言うような趣旨の話をしたのは、宗教哲学者であり、民藝運動の創始者である柳宗悦です。

人間がその意識を離れて無意識化に至った時、それはある意味では自然の法則と一体となっている状況であり、その状況でアウトプットされるものには、意識下においては成しえないような、独特の風合いと美を宿すことになるのかもしれません。

美の起源はアウトプットにあり!?

なかなか興味深いお話です。エレガントさを追求したい私としましては、更に色々と突っ込んでみたいテーマの1つですね。

さて、皆さんはどのようにお考えになられますか!?

美の起源:インプット編

皆さま、こんにちは。
rm55です。

だいぶ久しぶりの更新となってしまいました。
さすがに間があきすぎましたね。大変申し訳ございません。。

さて、気を取り直してまいりたいのですが、本日のテーマは「美の起源」です。

なかなか難しそうなテーマですが、私rm55が書く記事ですのでそんなに難しいものではなく、また深い内容でもございませんので、サクッと読んで頂ければと思います。

皆さんは人類最古のアートをご存知でしょうか!?
アートの定義は何?、と言われると困ってしまうのですが、ここでは“人類による美の表現”とでもしておきたいと思います。

そんな“人類による美の表現”であるアートですが、現存する人類最古のアートとしましては、約3万2000年前にネアンデルタール人によってフランス南部にあるショーヴェ洞窟に描かれた絵画だと言われております。

野生の牛や馬、サイ、ライオンなどの動物画が260点ほど、その総数は300点を超えると言われているようです。

どんな絵が描かれているのかを知りたい方は、是非ともgoogle先生に聞いて頂きたいのですが、人類がはじめて美を表現する上で選んだ対象が、身近に存在したであろう動物であった、と言うことは考えれば当然のように思われます。

身の回りにいた動物がヴィジュアルとしてインプットされ、そこで何かしらの解釈が行われて、ショーヴェ洞窟の壁画としてアウトプットされた。

つまり、美の表現たるアートと言うのは、「人の内部から自然発生的に生まれて来たもの」と言うよりは、「自然界からのインプットが起源になっている」とも言えなくもないわけです。

人はイメージしたものしか表現できない、と言いますね。

そういう意味では、イタリア人の仕立てる服と日本人の仕立てる服の雰囲気の違いには、これまで何を見て来たか、どんな環境で過ごしてきたのか!?と言うことも多少なりとも影響しているのかもしれません。

それは、仕立て服を「人類による美の表現」の一つとするのであれば、何を見て来たのか、何を感じて来たのかと言う、それまでの職人さんの人生における様々なインプットが、仕立て上げられる服にアウトプットとして表現されていると考えることもまた、当然のように思われるからです。

逆に言えば、仕立て上がる雰囲気の違いに国籍は関係なく、見てきたもの、過ごして来た環境と言ったインプットこそ、アウトプットされる、すなわち仕立て上がる服の雰囲気の違いに影響を与えるのではないかと。

美の起源はインプットにあり!?

ちょっと面白いテーマですので、また同じテーマで書いてみたいと思います。

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